内容紹介
ユーモアとウィットに富んだ作家・マーク・トウェインは、嫌みったらしい文章を得意としました。「アダムとイヴの日記」もその一つ。アダムとイヴの出会いをモチーフに、それぞれの日記からお互いの本音を暴き出すという面白い試みで書かれた作品です。
女に対する偏見、男に対する偏見がおもしろくて、読んでいるとつい笑ってしまいます。たとえば、アダム(男)の日記の出だし。
長い髪をしたこの新しい生きものは、実に邪魔だ。いつもうろうろして僕の後にくっついて来る。僕はこれがいやだ。付き合いに慣れていないのだ。ほかの動物と付き合ってほしいよ……今日は曇りで東風だから、僕たちは雨に遭うと思う……。僕たち? どこでこの言葉を知った? あ、そうだあの新しい生きものが使っているのだ。
アダムはイヴをすごく鬱陶しがっています。「僕たち」1という言葉で、勝手に仲間扱いしてくるのにもうんざりしているようです。
では、イヴの方はどうでしょう?
私は、親しみのこもった「私たち」という言葉をよく使いました。なぜって、一緒にされることを彼は喜んでいるように見えたから。
認識がすれ違っている……。
男と女って、どうしてこうもわかり合えないのでしょう。
それから、名付けについても考え方の違いが顕著に表れています。2
アダムは、一言で言うなら慎重派。ものの名前はじっくりと考察してから決めなくてはならない。形や性質、いろいろなことを見定めて、ふさわしい名を与えるべきだという考えです。なので、直感に頼って名付けをするイヴのやり方に不満を覚えます。
新しい生きもの〔イヴ〕は、それをナイアガラの滝と呼ぶが、なぜか、皆目わからない。ナイアガラの滝に見えるからだと言うが、それは理由にならない。単なる思いつきで、馬鹿げている。
アダムはイヴのことをバカだと思っています。思慮に欠ける。論理性に乏しい。じっくりと考えるということができない……。
でも、イヴはイヴで、アダムのことをバカだと思っています。
この一日、二日の間、物に名前をつけるという仕事を、すべて彼から引き受けました。このことは彼をとても安心させたと思います。というのは、彼にはこの方面での才能が全然ないので、実際とてもありがたがっているのです。彼は物にふさわしい名前を思いつかないので、彼の面目が保てないのです。〔…〕私には彼のような欠点はありません。ある動物を見た瞬間に、それが何であるかわかってしまいます。少しも考える必要がないのです。
ああでもないこうでもないと思索をめぐらせるアダムの姿は、イヴにはのろまで冴えない姿に映るのでしょう。
男は女をバカだと思っている。
女も男をバカだと思っている。
でも、お互いがそれぞれ「男ってバカだなあ」「女ってバカだなあ」という思いを押し殺して、折り合いをつけようとしている。
そんな世の中の真理を、日記という、うってつけの形式で絶妙に描き出すのが、トウェインのすごいところです。
さて、アダムはイヴと生活を続けていくうちに、だんだんとイヴの影響を受け、それに染まっていきます。
「僕たち」――これもまたあいつの言葉だ。何度も聞いているものだからもう僕の言葉にもなっている。
そして最後には、「たとえ楽園から追放されたとしてもイヴのいない世界を選ぶ」と思うまでになります。3
何年も経ってみると、イヴのことに関して僕は最初誤った認識を持っていたと思う。エデンの園のなかに彼女なしでいるよりは、エデンの外で彼女といるほうが良い。初めイヴは喋りすぎると思っていたが、今ではその声が出なくなって僕の生活から消えてしまったら、悔やんでも悔やみきれないことだろう。
はたしてアダムは幸せを摑んだのか、それとも失ったのか。
愛する人のためなら、何を差し出すことができるか。
ひょっとしてアダムは、楽園から追放されたことを心のどこかで悔やんでいて、でもそれを認めたくないからイヴのほうがすばらしいと思いたいだけではないのか。
トウェインを読んでいると、どうもこういう穿った見方をしたくなってしまいます……が、
まあ、一応はこの作品はハッピーエンドと言っていいでしょう。
この作品は「アダムの日記からの抜粋」と「イヴの日記」がそれぞれ別の時期に書かれ、後にワンセットになりました。「アダムの日記からの抜粋」が初めて発表されたのが1893年。まだこの頃は、トウェインも人間に失望し切ってはいなかったのでしょう。
これが、『人間とは何か』(1906年)になると……。人間の愚かしさや身勝手さをこれでもかと罵倒する、嫌味文学の最高峰です。
トウェインといえば『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』ばかりが知られていますが、たぬき的には『人間とは何か』がトウェインの最高傑作だと思います。
ストーリーを知りたい方は、ぜひ『人間とは何か』の解説も覗いていってください。
書誌情報
- マーク・トウェイン「アダムとイヴの日記」(マーク・トウェイン(1995)『マーク・トウェイン コレクション 3 地球からの手紙』柿沼孝子ほか訳、彩流社 所収)
- Mark Twain. (1904). “Extracts from Adam’s Diary”
(初出は1893年。The Niagara Book (Buffalo: Underhill and Nichols), pp. 93–109.) - Mark Twain. (1906). “Eve’s Diary”